フジタとスポーツ
つなぐ− スポーツでまちがひとつに −
サッカーや7人制ラグビー、パラスポーツに対する支援や、各地域で開催されるスポーツ大会の協賛など。
スポーツ振興に取り組むことで、フジタが描く未来像とは。
原点はサッカー
− 先人たちの想いをつなぐ −
フジタによるスポーツ振興は、半世紀以上前の1960年代にまで遡る。1968年、フジタの関連会社だった藤和不動産株式会社にサッカー部が創部され、その成長をフジタは30年にわたり支え続けてきた。1975年から1985年までの11年間で3度の日本サッカーリーグ制覇。天皇杯では5大会で決勝進出し2度の戴冠と黄金時代を築き、1993年にはJリーグに昇格を果たす。
1968 - 藤和不動産サッカー部創部
1975 - フジタ工業クラブサッカー部に改称
1990 - フジタサッカークラブに改称
1993 - Jリーグに昇格/ベルマーレ平塚に改称
1994 - 第74回天皇杯優勝
1995 - 第6回アジア・カップウィナーズカップ選手権優勝
しかし1999年、バブル崩壊のあおりを受け、フジタはチームの運営から撤退を余儀なくされる。存続の危機に瀕してもチームに貢献したい想いは強く、負債を残さず、練習グラウンドやクラブハウスをそのまま残し、フジタは断腸の思いでチーム運営から離れた。
その後、月日は流れ、チームは逆境を乗り越えて「湘南ベルマーレ」へと名称を変えながらも、地元から愛されるJリーグチームとして成長を遂げていた。創設時からチームの成長を見守り続けてきたフジタ。もう一度、感動と興奮を共に喜び合える場所に立ちたい。その想いが2017年、現実のものとなる。ベルマーレのオフィシャルユニフォームパートナーへの復帰だ。シーズン開幕後、スタンドから目に飛び込んできたのは「再びフジタと共に歩めることをうれしく思います」という手書きの横断幕。そして、それを笑顔で掲げ持つサポーターの姿。スポーツを通じて絆は生まれる。改めてそう実感できる瞬間だった。
現在は、フジタの冠試合「フジタスペシャルデー」が年に1回開催され、スタジアム内外で数々のイベントを実施している。試合前には社長の奥村がゲストトークの際に選手、サポーターを全力で鼓舞し、大いに盛り上げるのが恒例となっており、来場者の思い出に残るサッカー観戦を、フジタが一丸となって演出している。
グリーンオーシャンナイトsupported by FUJITA
次世代育成
− 未来につなぐ −
サッカーが生み出す感動や喜びを、次の世代にも伝え、つなげていきたい。サッカーに情熱を注ぐ子供たちに、チャンスの場を提供していきたい。そのような想いからフジタでは地域の子供たちをJリーグ選手へと育成することを目的とした「ベルマーレフットボールアカデミー」の支援を行っている。アカデミーから選抜された選手は、フジタが協賛するジュニアサッカー国内最高峰の大会「ジュニアサッカーワールドチャレンジ」に出場し、好成績を収めている。
次世代を担う子供たちの成長をサポートする次なるアクションとして、2023年から「東日本大震災メモリアルカップU-12」にも協賛している。Jヴィレッジが中心となり、子供たちにサッカーを通じて心身を鍛え、フェアプレーの精神を学ぶ機会を提供すると共に、福島のみならず東北地域の復興を祈念して開催される大会であり、フジタがその大会趣旨に賛同したことで、サポートが始まった。
フジタはチーム運営や大会スポンサーとしてだけでなく、スタジアムの建設にも数多く携わってきた。現在も日本サッカー協会(JFA)の「JYDグリーンプロジェクトパートナー」として、全国各施設の芝生化などグラウンド整備のサポートにも力を注いでいる。スポーツの発展には、競技が行われる施設環境といったハード面の充実化もおおいに重要となる。プロサッカーが行われるスタジアムはもちろん、地域のサッカー場、園庭や校庭まで芝生化を進めることで、幅広い世代にとって安全にスポーツを楽しめるコミュニティの創出など、今後もさまざまな試みを行っていく。
トップアスリートと
仕事の両立支援
− 仲間たちをつなぐ −
ベルマーレのスポンサーに復帰した2017年。フジタは7人制ラグビーチーム「サムライセブン」のサポートに乗り出した。サムライセブンを率いるラグビー元日本代表・吉田義人監督の「メンバーにはトップアスリートとしてだけでなく、人として大きく成長してもらいたい」という想いに賛同したものである。所属するメンバーはラグビー選手としてだけでなく、社会人の仕事も兼務し、現在はそのうち5名がフジタの社員として勤務しながら練習に励んでいる。
その5名の経歴はさまざまで、高校や大学で優勝経験を重ねてきたメンバーもいれば、海外留学をしながらラグビーの技術を磨いてきたメンバー、野球やアメリカンフットボールから競技転向し、それを強みとして発揮するメンバーも。平日のうち3日は早朝練習を終えてから午後に出勤。限られた時間の中で作業所での事務、本社での出納、DX戦略の策定など各配属先で社業を全うしている。休日も全体練習や試合などに多くの時間を費やすなど、スケジュールはハードだが、好きなラグビーに全力で打ち込める環境が、各メンバーの支えになっている。「一緒のフィールドに立って連携し、目的を果たすという意味では仕事もラグビーも同じ。仕事でうまくいけば練習も意気揚々と臨めますし、両方とも100%の力を注いでいます」とメンバーは語る。
サムライセブンの選手と仕事をするようになり、社内ではラグビーへの関心が高まっている。ラグビーを話題とした社員同士の会話や交流も増加。また、休日に試合が行われる時は、多くの社員が応援に駆け付ける。15人制ラグビーと同じ広さのフィールドで繰り広げられる7対7のプレーは、個人のパフォーマンスも見えやすく、試合時間も前後半7分ずつで計14分とコンパクト。さらに7人制ラグビーには、スタンドをBGMで盛り上げたり、観客は飲食を楽しみ、時には仮装をしたりとお祭り気分で観戦を楽しむ文化があり、観戦に訪れた社員たちを惹きつけている。
国内の7人制ラグビーチームでも指折りの強豪であるサムライセブン。2023年は「第14回東日本クラブセブンズ」で全勝優勝という偉業を成し遂げた。次にサムライセブンが目指すのは、7人制ラグビー国内最高峰の大会である「ジャパンセブンズ」での優勝だ。「自分たちが打ち込む競技のことを理解し、サポートしてくださる会社には感謝しかありません。試合に勝つ、日本代表選手に選抜されるといった目標を持ち、叶えていくことで恩返ししたいです」とメンバーは意気込んでいる。
障がい者スポーツ
への協賛
− 多様性をつなぐ −
スポーツ振興の拡がりはサッカー、ラグビーにとどまらず、フジタが全社を挙げて取り組んでいるダイバーシティ推進にも及ぶ。2016年に「一般社団法人日本パラ水泳連盟」、2019年には「NPO法人日本視覚障害者柔道連盟」とオフィシャルパートナー契約を締結。障害者スポーツへの協賛を通じて、スポーツが与えてくれる感動や興奮をより多くの人に、ボーダーレスに届けていきたい。その想いに社員も共感し、国際大会後の表敬訪問では多くの社員がメダリストたちを温かく出迎え、歓迎した。また、障害のある方たちの社会参加を応援する国際的なスポーツ組織「スペシャルオリンピックス」の日本全国大会が行われた際には、その運営に社員の有志がボランティアで参加するなど、想いは着実に社員ひとりひとりにも浸透し、拡がり始めている。
地域との共存共栄
− 創業の地をつなぐ −
地域市民の一員として、自分たちを育ててくれた地域の振興に貢献したい。2024年、フジタにとって2つの新たな試みが行われた。1つ目は、1月に広島で開催された「第29回全国男子駅伝」への協賛。日本3大駅伝のひとつであった中国駅伝を継承するかたちで、毎年行われている由緒ある大会だ。1910年に広島で創業したフジタが、原点の地に貢献すべくスポンサーとしてはじめて大会をサポートした。2つ目は、2月に神奈川・江の島で開催された自転車競技・BMXの国際大会を中心としたイベント「ENOSHIMA WAVE FEST」への協賛。2015年に大和小田急建設と合併、という歴史を持つフジタにとって、江の島を含む小田急沿線は第2の創業の地と言える。スポーツを通じて所縁の地に、微力ながらも感動、笑顔を届け貢献することができ胸をなでおろすとともに、これからもより良い地域貢献のかたちを模索していく。
フジタは長い歴史のなかで、さまざまな世代の人々や地域がつながり、一体感を醸成するスポーツの魅力を強く実感している。スポーツが生み出す感動や興奮を後押しし「スポーツでまちをひとつに」していくことは、今後もフジタにとって建物を建てた先にある、まちづくりの大切なピースといえる。
スポーツ振興で
人のつながりをもっと深く
スポーツの醍醐味を
もっと伝えるために。
もっと強くなりたい。
サムライセブン
荒井 佐竹 二宮 佐藤 香山