メキシコ ホテル・
サービスアパートメント開発事業
日本の日常を
メキシコへ− 海外進出の夢を応援したい −
今や1,300社を超える日系企業が進出するメキシコ。
現地で活躍する日本人駐在員の、日常生活にも貢献していきたい。そのような想いで、フジタが築きあげたものとは。
プロジェクトの
進行役となったメンバー
- 海外開発 高城
- 施工(統括) 伴
- 施工(副統括) 兼光
ビジネス空間に
とどまらず
貢献の幅を
広げていきたい
2021年11月、メキシコ・ケレタロ州に「FUJITAYA」が誕生した。メキシコにいながら日本を体感することができる、ホテル・サービスアパートメントだ。2019年より大和ハウスグループのホテルとして運営を開始していたが、コロナによる世界的な厳しいホテル環境により、フジタ1社による運営体制に移行し、リブランドを実施した。
メキシコには近年、日系企業の進出が急増しているものの、アジアの主要都市と比較すると日本人にとっての生活利便施設の充実度には、まだまだ差が生じている。このような中、日本人駐在員の方々が求める生活環境の整備にフジタとして応えたい、という想いが本プロジェクト推進の原点となっている。
土地の選定から許認可取得、設計、建設、施設運営という一連の事業の推進にあたって中心的な役割を担った海外開発担当の高城は「フジタがメキシコに支店を設立したのは2004年。法人の設立当初からメキシコ事業に携わってきましたが、当初は知名度もなく苦難の時代が続きました。しかし2011年頃から、日系自動車産業がアメリカからメキシコへ生産移転するのにともない、グアナファト州を中心としたエリアで生産施設の建設需要が急速に高まりました。これに応えるため、当社は現地施工体制の構築を強力に推し進め、結果として多くの施工実績を残すこととなり、これがメキシコにおいてフジタの存在感を大きく向上させることにつながりました」と振り返る。
フジタは、サラマンカ市のマツダ新工場をはじめ複数のメーカーの自動車工場と多くの自動車部品サプライヤーの工場を施工し、その規模は床面積にして200万平米を超える。メキシコ支店設立の責任者として携わり、今回のプロジェクトにおいては施工統括責任者として参画し、フジタ中南米の建設事業の歴史とともに歩んできた伴は、当時をこう振り返る。「支店の発足当初はまさにゼロからの出発でした。細かな仕事でも誠実に行うことで一歩ずつ実績を積み重ね、お客さま、そして協力会社の信頼を得ることから始めました。2011年以降におけるデマンドの急速な拡大に応えるために施工体制の整備、拡充がなされ、事業規模も格段に大きくなったわけですが、この実現の陰には、それまで施工品質の高さにこだわった我々の地道な歩みがあったと思うと感慨深いものがあります」
こうして増えていった日系企業の駐在員同士の中で、頻繁に話題となったのがメキシコでの生活環境だった。食文化の違いは当然のことながら、住居の快適性などにおいても、日本はもちろん他のアジア各国の主要都市とのギャップを感じていた方も少なくないという。2015年からメキシコ支店に赴任し、今回のプロジェクトでは施工の副統括として伴を支えてきた兼光は「お客さまや他社の日本人駐在員の方との会話でも、駐在中の住生活環境に関する話題はよく出ていましたね」と語る。生産施設の施工だけでなく、フジタの強みを生かして、貢献の幅を広げたい。その時、高城には「フジタには、ベトナムや中国でのサービスアパートメントの施工、運営の実績が複数あり、これにメキシコでの施工経験と実績を持ってすれば、メキシコに暮らす日本人駐在員にとって喜ばれる施設づくりを必ず実現することができる」という確信があった。メキシコの地に日本人の生活を支えるサービスアパートメントをつくる――。これまで“まちづくりのフジタ”と呼ばれ日本国内でも数多くの実績を持つフジタが、そのDNAをメキシコという場所においても発揮しはじめようとした瞬間だった。
国境を超えた場所でも
地域貢献への想いを発揮
施工における苦難も
「想いの強さ」で
乗り越える
今回のホテル・サービスアパートメント事業は、土地の選定から企画、設計と約7年かけて準備が固められ、実際に着工したのが2018年のこと。工期は“17ヶ月”と設定された。伴は「鉄骨の工場建設は海外でも数多く手掛けてきましたが、RC(鉄筋コンクリート)造の住宅建設は初めての経験。限られた工期の中で仕上がるのか、不安とプレッシャーは大きかったです」と振り返る。その不安は、兼光も同様で「日本と同じ仮設資材なども用意できない環境の中で、高さ約40mのビル建設という大規模な工事。安全面でも不安が大きかったですね」と語る。
そのような状況の中でも前に進み続けることができたのは、何としても完成させたいという強い想いだった。「完成できれば、たくさんの日本人駐在員に喜んでいただけることは確信していましたから。だからやり通せたのだと思います」と伴は語る。これまで、共にメキシコで工場建設などの実績を積んできた協力会社にもその想いが伝わり、安全、品質の両面において高い意識で施工に臨めた、と兼光は当時を振り返る。その上で、「きちんと議論を重ねた上で作業を行なったので、手戻りも起きませんでした。基準階の施工ノウハウが確立した以降は、工期の短縮が実現するほどスムーズに進行し、現地の方々も、そのスピード感に驚いていましたね」と笑顔で話す。
その結果、無事故・無災害で工期通りに竣工を迎えることができた。今回の経験で、施工において重要なのは、やはり“人”であると伴は改めて感じたという。さらに「私がフジタに入社したのは1972年、その当時から現場に立つたびに“余裕をもって仕事にあたれ・環境の整備・団結”という三訓を常に心掛け、関係者と共有しているのですが、今回もその姿勢で臨んだことが成功につながったと感じています」と強調する。
日本人の心を満たす
空間の魅力を
現地にも伝えたい
今回のプロジェクトの舞台に選んだのは、ケレタロ州・フリキージャ。これは当地の将来性を見込んだ上での決定だったと高城は語る。「日本人をターゲットとした施設という意味では日本人コミュニティの規模が立地を決定する重大な要素であったことは確かです。しかしメキシコシティやレオンなど日本人が多く居住する都市は他にもある中、ケレタロを選択した最大の理由は治安の良さにあります。これは、施設そのものの安全性にとどまることなく、利用者に安心を提供するためにも必要な選択だったわけです。また安全へのニーズはメキシコ人にとっても当然に重大な関心事項であり、土地の選定にかかる意思決定を行なった頃と比較しても、このエリアへの富裕層による投資、移住が急速に進んでいます。この結果、現在では近隣に最先端のショッピングモールや高級スーパー、レストラン、タワーマンション、総合病院なども続々と建ち並ぶようになりました」
伴、兼光といった施工チームが中心となって完成させた、地上10階建て、客室数276室のホテル・サービスアパートメントは2019年に無事オープンを迎えた。日本人にとっての日常を追求したいという想いは、館内の設備一つひとつに込められている。その特徴について兼光は「シャワー文化のメキシコにおいては珍しい日本式の深いバスタブや、シャワーの十分な湯量や水圧を満たすため、日本メーカーから設備を輸入したり、現地業者に特注したりするなどして手配しました」と語る。日本では日常といえる居住空間をメキシコで実現するために、注力したものの一つが客室間の遮音性能だ。伴は「騒音・振動測定器なども日本から輸入して使用しながら検証し、形にしていきました。実際に宿泊した方からも好評で、『技術を通して我々のこだわりを伝えることができる』ということを実感できました」と話す。
客室以外も、⼤浴場や⽇本⾷レストランなど、⽇本⼈向けのサービスが充実している。⾼城は、「⽇本のおもてなし精神を受け⼊れ、実践してもらえるよう現地スタッフの教育にも⼒を⼊れてオープンしました」と、施設に加えソフト⾯での魅⼒を強調する。オープンしてみれば、サービスアパートメントの利⽤客は全員⽇本⼈であるものの、ホテルの利⽤客の国籍はさまざまであり、海外の⽅々からもニーズの⾼い施設であることが判明した。メキシコにおいて他に類を⾒ないコンセプトのこの施設が持つポテンシャルを、まだ⽣かしきれていない。⽇本⼈顧客を意識して開発した施設ではあるが、この魅⼒を現地にも積極的に発信していく必要がある。そう感じた⾼城は、施設のリブランドの必要性を強く確信する。
前例がない施策でも、
ニーズがある限り
挑戦する
2021年11月、施設名を「FUJITAYA」としてリニューアル。日系ゼネコンとしてメキシコでも知名度を上げてきたフジタの存在感を、さらに強く示すネーミングである。「日本人の心を満たす施設、というのがそもそもの目的でしたが、ケレタロに根を下ろしてサービスを提供する以上は、地元の方々にも日本の文化に少しでも愛着を持っていただけることを目指しました」と高城はリブランドに込めた想いを語る。オープニングセレモニーには、ケレタロ州の観光局など政府関係者、マスコミ関係者も多く訪れ、各メディアでもその様子が数多く取り上げられた。
さらに2022年8月、メキシコ日本商工会議所ケレタロ支部が主催したイベント“日墨夏まつり”の会場として「FUJITAYA」が選ばれた。当時の様子を高城はこう語る。「この夏まつりは初開催ということもあり集客は500人程度と予測していましたが、実際足を運んでくださった方の数は1,300人以上。日本舞踊や浴衣など日本文化を発信したり、ケレタロ産のワイン、チーズを販売する屋台も出店したりと、日本とメキシコの良き交流の場として、私たちが手掛けた施設をご利用いただくことができ、感慨深いものがありましたね」
施設の竣工から4年、リブランドから1年が経過し、兼光は「現場などでもお客さまから『この前、FUJITAYAに泊まりましたよ』などとお声掛けいただく度に施工時の日々が昨日のように思い出され、その時の苦労が癒やされるとともに、次に進む活力ともなっています」とうれしそうに語る。フジタでの勤続年数が50年を超え、うち40年以上が海外での勤務という伴は、今回のプロジェクトの実現がさらなる自信につながったと話し、「今回の事業で“メキシコで日系ゼネコンのトップシェア”というフジタのブランド力もさらに向上したのではないでしょうか」と目を細める。
そして最後に、プロジェクトに一貫して携わってきた立場から高城は「今までになかった、こだわりの空間をメキシコで実現できたことは大きな成果だと感じていますが、やるべきことは、まだまだあります」と強調。その上で「日系企業のメキシコ進出を後押しできるような施策を、今後ますます手掛けていきたいです」と決意を述べる。前例のないことでも、それが多くの方々の心を満たす施策であれば前向きに動き、実現する。フジタのチャレンジ精神は、日本国内外、変わることはない。
日系企業の海外進出を
あらゆる面でサポート
日本、そして現地の方々の
心を満たせるような施策を、
これからも手掛けていきたい。
海外開発高城