
フジタホーム > エグゼクティブコンサルタント > 山田 茂
数少ない
建物火災安全計画のスペシャリスト
建物火災安全計画技術のプロ

火災に対して安全な建物を設計する時、「出火しない」「安全に逃げられる」「建物が崩壊しない」「消防活動ができる」「延焼しない」など、建築基準法に定められた規定に従って進めていく。
しかし、法規どおり「安全確保」が最優先という四角四面の発想で設計するとどうなるか。建物は避難階段ばかり、有効床面積が意外に少なくなる、コスト高になることもあり得る。建築基準法などの法規の制約はあるが、2000年の法改訂で定められた二つの方法を使って、設計上工夫すれば、先の問題点をカバーできる。
ひとつは「大臣の定める方法」すなわち避難安全検証法などを用いて、設計の妥当性を確認する方法。もうひとつは「大臣の認める方法」すなわち、設計者が創意工夫したことを有識者および国に審査してもらい認めてもらう方法である。

ここで、火災安全設計のエキスパート・山田は考える。
ショッピングセンターなどでは、平常時の換気のためには換気ファンを用い、火災時には煙を出すための専用の排煙ファンを用いていた。これをひとつにできないか。1つのファンで2つの機能をもつシステムを取り入れ、設備の有効活用やコストダウンを計る。
さらに「避難安全検証法」(建築基準法に定められた方法)の活用である。火災時の避難時間・経路と煙の性状を予測して、安全に逃げられることが確認できれば、避難安全に係るいくつかの規定が除外になる。例えば、ショッピングセンターなどの火災の際、どのように避難できるか、廊下、階段、部屋の数、入店者の人数、動きなどを条件に、煙や炎から安全に避難できることを計算して確認していく。
建物には防煙用のたれ壁がある。これには煙が広がらないようにする役割があるが、たれ壁のせいで店舗などではレイアウト変更が容易にできないなどの難点があった。だが避難安全検証法を用いてこのたれ壁のない設計が可能となる。
火災が発生した際に、煙が人の頭まで降りてくる時間を遅くする設計にすることで、排煙用窓を撤廃。大空間が生まれ、コストダウンにもつながった。
彼の考えた事例はいつのまにか150を超えていた。

火災安全設計に携わる専門家は、日本では意外に少ない。山田は財団法人日本建築センターで火災安全の審査員に任命されて、月に十数件もの物件の安全性について考察していくうちに、火災安全設計のスペシャリストとしてめきめきと腕を磨いていった。さまざまな案件に取り組むことで情報量と人脈は格段と増え、仕事の質も向上していった。「フジタには山田という火災安全設計の専門家がいる」という評価も高まり、建築基準法や消防法の改正を検討する委員にも選任され、建物を造る側からの発想で法令の合理化も目指す。
「火災に対して安全な建物を経済的、合理的に造ることを自らの設計に課しているが、お客様の役に立っていると実感できたとき、ものを造る喜びを感じる」と研究開発・設計への想いを語る。
入社当時の技術研究所で、先輩から「ここは技術の最後の砦、その自覚をもってやれ」と言われたことは今でも忘れられない。だから「言いにくいことでもしっかり指摘をして、最後は自分が責任をもつ」強い信念で仕事に取り組んできた。
煙の発生、建物内に広がっていく動きに関する研究を最も得意とするが、「火災安全全般に関する技術の普及・定着も目標のひとつ」と意欲を燃やす。
小学4年生のとき、家の建て替えをすることになった。山田少年は思い出に家の模型を作った。そのときから建築への興味が募っていった。大学は建築学科に進み、入社して配属された技術研究所では空調システムの研究からスタートした。しかし、あるとき火災安全担当者として白羽の矢が立った。一から勉強をした。つくばの建設省建築研究所(当時)で火災研究の超大家、京都大学の田中哮義教授に出会う。「これが私のターニングポイント、運命的な出会いだった」教授の指導を受けながら書いた論文を、母校の教授が見て学位をとらないかと、電話をしてきてくれた。月に1回だが3年かけて仙台に通い、学位を取得する。頑張り屋だ。周囲にはいつも彼を理解し、後押しをしてくれる上司や仲間がいてくれた。
「あの模型まだ記念に残してあります」。模型を作ったころと同じ年頃となった次男とは、将棋やキャッチボールをして休日を過ごす。